足の「人指し」指
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卒業式の案内
今年に入ってから、実は、息子は一度も学校に行っていない
学校といってもサポート校だから、レポートさえできていれば、あとはスクーリングの日に行けばよいのだけれど、、、、
高校生の息子がいる、というより
フリーターの息子がいる、と言うほうが、今の現状にはピッタリだ
「学校、行かなくてもダイジョウブなの?」
などと訊こうものなら
「ダイジョウブだって言ってるじゃないかっ
自分のことは、ちゃんと自分で考えてるからっ」と怒りだす
それでも、卒業見込みで決まった専門学校の入学金&学費をすでに払い込んであるので、いまさら「卒業できませんでした」では、本当に困ると思っていた
すると、昨日、郵便ポストにサポート校から手紙が届いた
封筒の表に「卒業式のお知らせ」とある
こわごわと、封を切ると、、、、、
なんと、卒業生名簿のなかに、息子の名前も記されていた
よかった~~~~っ!!!!
なんとか、息子は高校を卒業できそうだ
私は心の底から安堵した
ちょうど息子が部屋から出てきたので
「あなた、高校を卒業できるのね~~」と声をかけると
「当たり前じゃんっ」という答えが返ってきた
とんとんとんでもないっ
息子の「高校卒業」は当たり前でも何でもないっ
ほとんど奇跡に近いっ
入学前説明会の日、はじめて息子が通う公立高校へ行った私に、息子は誇らしげに言った
「どう? けっこう、いい学校でしょ?」
ところが、それから2週間後、入学式を終えてまだ二日と経たないうちに、息子の顔は曇った
それからは、毎朝作って持たせたお弁当も、ほとんど食べずに帰ってきていた
そのうち、週の半分は欠席、残りは学校に行ったとしても遅刻、あるいは早退の毎日だった
(もしかしたら辞めちゃうかな?)
その予感は的中した
夏休みを経て、心配した2学期は思ったよりも出席率が高かったけれど、体育祭・文化祭が終わり、中間考査の最後の日の朝、朝食のテーブルで息子は言った
「おれ、高校を辞めようと思うんだけど、、、」
とりあえず、その日の夜に話し合うことにして学校に出したけれど、息子はテストが終わるとまっすぐに学校の事務室に足を運び、退学届けをもらいに行った
ビックリした事務員が担任に連絡、担任はすぐに保護者である私に連絡をしてきた
3年前の10月23日だった、、、
その日から、息子はぱったりと学校に行かなくなった
一度、無理やり制服に着替えさせて、学校に行かせたたことがある
自転車で出かけた息子に安堵して、少し遅れてバスに乗り出勤する途中、反対側から自転車に乗った息子が、家に戻るところとすれ違った
すれ違いざまに息子は、バスのなかの私に笑顔で手を振った
あの笑顔を、私は今でもはっきりと心に思い描くことができる
それは皮肉な笑いでも、あざけりの笑顔でもない
しばらく見たことのなかった、息子の明るいさわやかな笑顔だった
「母さんがどうしたって、おれの気持ちは決まってるから」
そう言っているようだった
それでも、苦しい日々が終わったわけではなかった
せっかく入ったサポート校にも合わなかった息子は、通信制で卒業することも難しい状態になっていった
起死回生を願って、思い切って一人で送り出したNZでの一ヶ月の留学生活
いま思えば、あれがターニングポイントだったのだろう
それからの息子は、勉学に熱が入ることは最後までなかったけれど、自分なりに将来を考えて行動するようになっていった
卒業へむけての最終のレポートとテストの期間に、ふたたび親のわがままから引越しをよぎなくされたけれど、あの混乱の日々、息子はちゃんと自分で卒業への準備を怠らなかったのだ
「いつみても波乱万丈」というテレビ番組があるけれど、息子の高校生活はその言葉通り「いつみても波乱万丈」だった
それが、やっと「高校卒業」という扉を通過する
中卒で就職させることも考えていた日々、、、
このまま一生、後ろ向きで生きていくんじゃないかと不安だった日々、、、
これからも、きっと、まだまだ「息子の波乱万丈」は続いていくかもしれない
それでも、高校卒業はひとつの扉だ
その扉を通るか通らないかでは、まだまだ今の社会では、その先の可能性に大きな差がある
その差が、どれほどの意味を持つのかは、私のようなちっぽけな人間にはわかるはずもないけれど、とりあえず、やっと、その扉の前まで来ることができた
ここから先は、息子自身が大いに悩んで進んで行ってくれるだろう
そして、今日まで息子をささえ、息子にいろいろと進言してくださったサポート校のスタッフの皆さまに感謝しよう
普通の高校生活を送らなかったツケは、これからの人生で息子自身が払っていくだろう
それよりも、普通の高校生活を送らなかったことで、逆に経験できたことが、これからの息子にとっての最大、最強の応援団でいてくれることを祈ろう
フレー!フレー!>息子
頑張れ!頑張れ!>息子
胸をはって、卒業しておいで!>息子
先日、読み終えた『ゲド戦記』のなかで、恩師オジオンが、影との戦いに出かけようとするゲドに向かって送る言葉を、息子にも送ろう
「いとしいハヤブサめ。
うまく飛んでいくんだぞ」
学校といってもサポート校だから、レポートさえできていれば、あとはスクーリングの日に行けばよいのだけれど、、、、
高校生の息子がいる、というより
フリーターの息子がいる、と言うほうが、今の現状にはピッタリだ
「学校、行かなくてもダイジョウブなの?」
などと訊こうものなら
「ダイジョウブだって言ってるじゃないかっ
自分のことは、ちゃんと自分で考えてるからっ」と怒りだす
それでも、卒業見込みで決まった専門学校の入学金&学費をすでに払い込んであるので、いまさら「卒業できませんでした」では、本当に困ると思っていた
すると、昨日、郵便ポストにサポート校から手紙が届いた
封筒の表に「卒業式のお知らせ」とある
こわごわと、封を切ると、、、、、
なんと、卒業生名簿のなかに、息子の名前も記されていた
よかった~~~~っ!!!!
なんとか、息子は高校を卒業できそうだ
私は心の底から安堵した
ちょうど息子が部屋から出てきたので
「あなた、高校を卒業できるのね~~」と声をかけると
「当たり前じゃんっ」という答えが返ってきた
とんとんとんでもないっ
息子の「高校卒業」は当たり前でも何でもないっ
ほとんど奇跡に近いっ
入学前説明会の日、はじめて息子が通う公立高校へ行った私に、息子は誇らしげに言った
「どう? けっこう、いい学校でしょ?」
ところが、それから2週間後、入学式を終えてまだ二日と経たないうちに、息子の顔は曇った
それからは、毎朝作って持たせたお弁当も、ほとんど食べずに帰ってきていた
そのうち、週の半分は欠席、残りは学校に行ったとしても遅刻、あるいは早退の毎日だった
(もしかしたら辞めちゃうかな?)
その予感は的中した
夏休みを経て、心配した2学期は思ったよりも出席率が高かったけれど、体育祭・文化祭が終わり、中間考査の最後の日の朝、朝食のテーブルで息子は言った
「おれ、高校を辞めようと思うんだけど、、、」
とりあえず、その日の夜に話し合うことにして学校に出したけれど、息子はテストが終わるとまっすぐに学校の事務室に足を運び、退学届けをもらいに行った
ビックリした事務員が担任に連絡、担任はすぐに保護者である私に連絡をしてきた
3年前の10月23日だった、、、
その日から、息子はぱったりと学校に行かなくなった
一度、無理やり制服に着替えさせて、学校に行かせたたことがある
自転車で出かけた息子に安堵して、少し遅れてバスに乗り出勤する途中、反対側から自転車に乗った息子が、家に戻るところとすれ違った
すれ違いざまに息子は、バスのなかの私に笑顔で手を振った
あの笑顔を、私は今でもはっきりと心に思い描くことができる
それは皮肉な笑いでも、あざけりの笑顔でもない
しばらく見たことのなかった、息子の明るいさわやかな笑顔だった
「母さんがどうしたって、おれの気持ちは決まってるから」
そう言っているようだった
それでも、苦しい日々が終わったわけではなかった
せっかく入ったサポート校にも合わなかった息子は、通信制で卒業することも難しい状態になっていった
起死回生を願って、思い切って一人で送り出したNZでの一ヶ月の留学生活
いま思えば、あれがターニングポイントだったのだろう
それからの息子は、勉学に熱が入ることは最後までなかったけれど、自分なりに将来を考えて行動するようになっていった
卒業へむけての最終のレポートとテストの期間に、ふたたび親のわがままから引越しをよぎなくされたけれど、あの混乱の日々、息子はちゃんと自分で卒業への準備を怠らなかったのだ
「いつみても波乱万丈」というテレビ番組があるけれど、息子の高校生活はその言葉通り「いつみても波乱万丈」だった
それが、やっと「高校卒業」という扉を通過する
中卒で就職させることも考えていた日々、、、
このまま一生、後ろ向きで生きていくんじゃないかと不安だった日々、、、
これからも、きっと、まだまだ「息子の波乱万丈」は続いていくかもしれない
それでも、高校卒業はひとつの扉だ
その扉を通るか通らないかでは、まだまだ今の社会では、その先の可能性に大きな差がある
その差が、どれほどの意味を持つのかは、私のようなちっぽけな人間にはわかるはずもないけれど、とりあえず、やっと、その扉の前まで来ることができた
ここから先は、息子自身が大いに悩んで進んで行ってくれるだろう
そして、今日まで息子をささえ、息子にいろいろと進言してくださったサポート校のスタッフの皆さまに感謝しよう
普通の高校生活を送らなかったツケは、これからの人生で息子自身が払っていくだろう
それよりも、普通の高校生活を送らなかったことで、逆に経験できたことが、これからの息子にとっての最大、最強の応援団でいてくれることを祈ろう
フレー!フレー!>息子
頑張れ!頑張れ!>息子
胸をはって、卒業しておいで!>息子
先日、読み終えた『ゲド戦記』のなかで、恩師オジオンが、影との戦いに出かけようとするゲドに向かって送る言葉を、息子にも送ろう
「いとしいハヤブサめ。
うまく飛んでいくんだぞ」
by nitonyan
| 2006-01-31 23:07
| すね
「親より出世するよ」
私の母は、私にそう言い続けた
「親より出世するよ」
そう息子に言ったとたんに、はじめて私は、私の母の気持ちが理解できた
「親より出世するよ」
それは、
「親より出世してほしい」
という親の願いと、期待だった、、、
「La Postal 1日1信」
私の母は、私にそう言い続けた
「親より出世するよ」
そう息子に言ったとたんに、はじめて私は、私の母の気持ちが理解できた
「親より出世するよ」
それは、
「親より出世してほしい」
という親の願いと、期待だった、、、
「La Postal 1日1信」
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