足の「人指し」指
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家族の週末 3
甥が生まれた日のことを、私は今でもはっきりと覚えている
それは、私が自分で「これが最後」と決めた芝居の公演の真っ最中だった
臨月を迎えて実家に帰っている姉が、どうやら産気づいたらしいという連絡を受けた私は、それでも舞台を抜けるわけにはいかず、公演が終わると、すぐに楽屋裏の公衆電話に走った
入院した夜、、、まだ陣痛は微弱
次の日、、、、なんと陣痛がおさまってしまった
三日目、、、、「生まれたよっ」
電話に出た父の声は覚えていないけれど、化粧も落とさず、衣装のままで公衆電話の受話器を握り締めていた、あの楽屋裏の風景だけは、見事に脳裏に焼きついている
あの日から、私は「おばさん」になった
舞台がはね、荷物をまとめて劇団を辞め、それから実家に帰った
そのときにはすでに、姉も甥も退院して実家にいた
いとこの中でも年少だった私は、実は自分より小さな子どもの面倒などみたことがなかった
幼いころの記憶の中では、いつも私が、年長のいとこたちに可愛がられる、一番小さな子どもだった
だから、実は甥は、私が初めて可愛がることのできた子どもだ
姉や母のかわりにオムツをかえた
ミルクも作り、抱っこして飲ませてもらった
甥と出会い、私ははじめて、小さな子どもの可愛らしさを知ることができた
初孫に夢中になっている両親をみて、甥に対して嫉妬したこともあった
大好きだった姉が、甥を可愛がるのを見て、嫉妬したこともあった
私にとっては、小さな小さな弟のような感覚だったかもしれない
そのためだろうか?
最初から、私は甥に対して自分のことを「おばちゃん」と呼んでいたのに、甥は最初から「Nちゃん」と呼び続けた
もちろん、私以外の家族のもの全員が、私のことを「Nちゃん」と呼んでいたことも原因かもしれない
「Nちゃん」という呼び方は、26年間変わらない
みんながみんな、私のことを「Nちゃん」と呼ぶから、次に生まれた姪も私のことを「おばさん」と呼んだことは一度もなかった
甥は、両親にとって初孫だったから、家族みんなでとても可愛がった
甥も、家族の思いに答えるように、「おじいちゃん子」「おばあちゃん子」の優しい子どもに育った
私たちが子どものころは一度も実現しなかった「家族旅行」も、甥を中心に年に何度も行くようになった
甥は間違いなく、うちの家族の「スター」だった
私が結婚して息子が生まれると、おとなしく素直だった甥と、気性が難しく勘の強い息子は、よく比較された
おとなしい性格の甥と、激しい気性のうちの息子
それでも成長した甥は、小さな息子を自分の弟のように可愛がってくれた
人見知りの激しかった息子も、甥にだけは心を開いていた
ただ、甥が息子の世話をすると、その後かならず甥はグッタリと疲れ果てていたそうだ
それでも甥は、私の息子をよく可愛がってくれた
家族の「スター」の結婚式
おじいちゃん子の甥は、病気の祖父に「ぜひ出席して欲しい」と望んだ
最初は「無理だ」と断っていた父も、家族全員のサポートで出席することができた
そのサポート役を息子が担うことは、実はとても意味があったと思う
今日の結婚式に出て、私は「家族の絆」をとても深く感じた
もちろん父の病気でも感じることができたけれど、子どもが成長して自分の家族を持つというセレモニーは、実はとても大切な区切りなのだと、今さらながらに感じた
これは、自分の結婚式でも感じることのできなかったことだ
私は今日の甥の結婚式で、はじめて「送り出す父」「送り出す母」そして「嫁ぐ子ども」の気持ちを深く感じることが出来たような気がする
よく人は「子どもを産んで初めて親の気持ちが理解できる」と言うけれど、ほんとうの親の気持ちは、育てた子どもが自分の家族を作って初めて、理解できるような気がした
そういう点では、まだ学生である子どもを持っている私は、親としてはまだまだ半人前
子どもが成人して就職したら、もう親の役目はおしまいと考えていた私にとっては、これはかなりの価値観の変化だった
紆余曲折して育ってきた息子が、自分の家族を持つ日が来るのだろうか、、、、?
今日の披露宴で、「今の気持ちは?」とマイクを向けられた花嫁のお父様が、
「娘をここまで育ててくれた妻に、ただただありがとうという気持ちでいっぱいです」
そうコメントしたとき、息子は、今日一日のなかで一番の拍手を送っていた
その息子を見て、私は昨日偶然に再会した元夫の姿を思い出した
そして、もし息子が結婚する日が来たら、そのときには元夫を、たとえそのとき元夫がどんな家庭を持っていたとしても、「花婿の父親」として参列してもらおうと、心に決めた
もちろん、その前に、息子の学費の残りをナントカしてもらわなくちゃいけないけどね 笑
孫の結婚式に出席できるだけの体力を父に残してくださって、ありがとうございます>神さま
甥の結婚式を盛り上げるために、息子を使ってくれて、ありがとう>義兄&姉
そして、とても素敵なタイミングで結婚を決めてくれた甥とお嫁さんにも、、、、ありがとうっ!
もちろん、、、
本来なら遊びたい盛りの週末に、泊り込みでおじいちゃんの世話をかいがいしくやり遂げた息子にも、、、、
本当にありがとうっ!!
+神に感謝
それは、私が自分で「これが最後」と決めた芝居の公演の真っ最中だった
臨月を迎えて実家に帰っている姉が、どうやら産気づいたらしいという連絡を受けた私は、それでも舞台を抜けるわけにはいかず、公演が終わると、すぐに楽屋裏の公衆電話に走った
入院した夜、、、まだ陣痛は微弱
次の日、、、、なんと陣痛がおさまってしまった
三日目、、、、「生まれたよっ」
電話に出た父の声は覚えていないけれど、化粧も落とさず、衣装のままで公衆電話の受話器を握り締めていた、あの楽屋裏の風景だけは、見事に脳裏に焼きついている
あの日から、私は「おばさん」になった
舞台がはね、荷物をまとめて劇団を辞め、それから実家に帰った
そのときにはすでに、姉も甥も退院して実家にいた
いとこの中でも年少だった私は、実は自分より小さな子どもの面倒などみたことがなかった
幼いころの記憶の中では、いつも私が、年長のいとこたちに可愛がられる、一番小さな子どもだった
だから、実は甥は、私が初めて可愛がることのできた子どもだ
姉や母のかわりにオムツをかえた
ミルクも作り、抱っこして飲ませてもらった
甥と出会い、私ははじめて、小さな子どもの可愛らしさを知ることができた
初孫に夢中になっている両親をみて、甥に対して嫉妬したこともあった
大好きだった姉が、甥を可愛がるのを見て、嫉妬したこともあった
私にとっては、小さな小さな弟のような感覚だったかもしれない
そのためだろうか?
最初から、私は甥に対して自分のことを「おばちゃん」と呼んでいたのに、甥は最初から「Nちゃん」と呼び続けた
もちろん、私以外の家族のもの全員が、私のことを「Nちゃん」と呼んでいたことも原因かもしれない
「Nちゃん」という呼び方は、26年間変わらない
みんながみんな、私のことを「Nちゃん」と呼ぶから、次に生まれた姪も私のことを「おばさん」と呼んだことは一度もなかった
甥は、両親にとって初孫だったから、家族みんなでとても可愛がった
甥も、家族の思いに答えるように、「おじいちゃん子」「おばあちゃん子」の優しい子どもに育った
私たちが子どものころは一度も実現しなかった「家族旅行」も、甥を中心に年に何度も行くようになった
甥は間違いなく、うちの家族の「スター」だった
私が結婚して息子が生まれると、おとなしく素直だった甥と、気性が難しく勘の強い息子は、よく比較された
おとなしい性格の甥と、激しい気性のうちの息子
それでも成長した甥は、小さな息子を自分の弟のように可愛がってくれた
人見知りの激しかった息子も、甥にだけは心を開いていた
ただ、甥が息子の世話をすると、その後かならず甥はグッタリと疲れ果てていたそうだ
それでも甥は、私の息子をよく可愛がってくれた
家族の「スター」の結婚式
おじいちゃん子の甥は、病気の祖父に「ぜひ出席して欲しい」と望んだ
最初は「無理だ」と断っていた父も、家族全員のサポートで出席することができた
そのサポート役を息子が担うことは、実はとても意味があったと思う
今日の結婚式に出て、私は「家族の絆」をとても深く感じた
もちろん父の病気でも感じることができたけれど、子どもが成長して自分の家族を持つというセレモニーは、実はとても大切な区切りなのだと、今さらながらに感じた
これは、自分の結婚式でも感じることのできなかったことだ
私は今日の甥の結婚式で、はじめて「送り出す父」「送り出す母」そして「嫁ぐ子ども」の気持ちを深く感じることが出来たような気がする
よく人は「子どもを産んで初めて親の気持ちが理解できる」と言うけれど、ほんとうの親の気持ちは、育てた子どもが自分の家族を作って初めて、理解できるような気がした
そういう点では、まだ学生である子どもを持っている私は、親としてはまだまだ半人前
子どもが成人して就職したら、もう親の役目はおしまいと考えていた私にとっては、これはかなりの価値観の変化だった
紆余曲折して育ってきた息子が、自分の家族を持つ日が来るのだろうか、、、、?
今日の披露宴で、「今の気持ちは?」とマイクを向けられた花嫁のお父様が、
「娘をここまで育ててくれた妻に、ただただありがとうという気持ちでいっぱいです」
そうコメントしたとき、息子は、今日一日のなかで一番の拍手を送っていた
その息子を見て、私は昨日偶然に再会した元夫の姿を思い出した
そして、もし息子が結婚する日が来たら、そのときには元夫を、たとえそのとき元夫がどんな家庭を持っていたとしても、「花婿の父親」として参列してもらおうと、心に決めた
もちろん、その前に、息子の学費の残りをナントカしてもらわなくちゃいけないけどね 笑
孫の結婚式に出席できるだけの体力を父に残してくださって、ありがとうございます>神さま
甥の結婚式を盛り上げるために、息子を使ってくれて、ありがとう>義兄&姉
そして、とても素敵なタイミングで結婚を決めてくれた甥とお嫁さんにも、、、、ありがとうっ!
もちろん、、、
本来なら遊びたい盛りの週末に、泊り込みでおじいちゃんの世話をかいがいしくやり遂げた息子にも、、、、
本当にありがとうっ!!
+神に感謝
by nitonyan
| 2006-06-11 21:37
| くるぶし
「親より出世するよ」
私の母は、私にそう言い続けた
「親より出世するよ」
そう息子に言ったとたんに、はじめて私は、私の母の気持ちが理解できた
「親より出世するよ」
それは、
「親より出世してほしい」
という親の願いと、期待だった、、、
「La Postal 1日1信」
私の母は、私にそう言い続けた
「親より出世するよ」
そう息子に言ったとたんに、はじめて私は、私の母の気持ちが理解できた
「親より出世するよ」
それは、
「親より出世してほしい」
という親の願いと、期待だった、、、
「La Postal 1日1信」
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