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足の「人指し」指


Gaudete in Domino. Ora et labora. 主にあって喜べ! 祈れ、そして働け!
by nitonyan
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まるで宇宙の旅、、、

実は、、、、

私は、器用貧乏なところがある

けっこう、いろいろなことをやってきて、短期間でかなり上達をするけれど、その先が続かない

器用貧乏、というより、、、、三日坊主!かっ?











一番最初の習い事はピアノだった
これは、5歳年上の姉のあとを追うようにしてレッスンをしていたから、楽譜がきちんと読めなくても、姉が弾いたメロディを覚えていたことが助けになって、姉よりも早い進度で進んだ
それでも、姉のように、最初から「ピアノの先生になりたい!」などとは夢にも思っていなかった私は、途中、遊びたい気持ちに負けて、レッスンを休みがちになった
「ピアノ、どうするの?」
そう母に訊かれて、すぐに「辞める」と答えてしまった
ちょうど、姉の音大受験のために莫大な資金が必要だった母は、渡りに船と一度も引き止めることなく、私はピアノを辞めた
小学校6年生のときだった

そろばんは小学校3年生から初めて、5年生には2級までいった
大会では、暗算の部で3位までとったが、結局、それだけで終わってしまった

町会長をやっていた祖父のために、3歳から地域のお祭りで民謡を踊っていた
踊りは大好きで、筋も良かったのか、お祭りが終わっても、踊りの先生から「習いに来ない?」
と誘いがきた
私も幼いながらも踊るのが大好きだったので、「やりたい!」と母に言ったが、もとより踊りのお稽古にはお金がかかるので、それは実現しなかった

大学に入ってから、たまたまヘルプで参加した劇団で、ジャズダンスを踊ることになった
どう頑張っても「大根役者」だった私は、何度も公演を重ねても、その他大勢の役しかとれなかった
それでも踊りの場面だけはいつも舞台の中央で踊っていた
振り付けを覚えるのが早いことから、振り付けの先生のアシスタントも勤めるようになった
「本気で習ってみたら?」と振り付けの先生に言われたのをきっかけに、その先生が習っているジャズダンスの教室に通うようになった
本気でジャズダンスをやろうと思って熱心にレッスンに通いはじめたけれど、生来 足首が弱いのか、何度も何度も怪我を重ねて、とうとう踊りを諦めた
同時に、芝居の世界からも身を引いた

結婚してからは、望んでいた子どもがなかなか出来なかったこともあり、小さいころから憧れていた小唄と三味線を習った
先生の唄を録音したテープを何度も聴いて練習し、三味線も暇があればいつも弾いていた
練習の成果もあって、1年で名取をとった
名取をとって、これから師範を目指すというとき、思いがけなく妊娠をした
長年、望んでいた子どもだったので、仕事も小唄もすべて辞めて、子育てに専念することにした

子育ての最中、ひょんなことから、幼稚園のPTAのバドミントン部に入ることになった
もともと運動は苦手で、どう練習しても上手くならない
それでもグループをまとめたり、グループのムードメーカーとしては良かったようで、とうとう副部長になってしまった
副部長というより、宴会部長のような感じだったけれど、それはそれで楽しかった
結局、バドミントンも試合のたびに足首の怪我に悩まされて、卒園と同時にバドミントンを辞めた

子どもが卒園するときの謝恩会で、久しぶりに舞台で踊りを踊るチャンスがあった
簡単な振り付けだったけれど、とても楽しかった
そのときに、PTAのお母さんたちの合唱の伴奏もピアノでやったけれど、ピアノよりもやっぱり踊るほうが私は楽しかった

子どもが小学校に入り、少し時間ができたので、エアロビを習うことにした
音楽に合わせて身体を動かすことは楽しかったけれど、筋肉を鍛えるということだけに終わるのが寂しかった
(やっぱり踊りは、人前で披露しなくちゃ、、、、)
そんな想いがつのって、いつしかエアロビも辞めてしまった

子どもが小学校2年生のとき、地域に子どもの合唱団が無いことから、仲間たちと一緒に一から作った
5人のお母さんたちで作り、最初は団員は5名のみ
うちの息子も最初の団員になった
歌の指導は、学生時代からコーラスをやっている友だちが指導し、私はピアノ伴奏をすることになった
口コミで団員が増え、団員が15名を越えたときに、正式に声楽の先生を講師として呼ぶことができた
1年後、大きな舞台で合唱するチャンスをいただき、その舞台を最後に息子は引退した
同時に私も役員を引退した
(そのとき作った合唱団は、今でも市内唯一の児童合唱団として活動を続けている)

ひょんなことから、息子の通う小学校の昼休みに絵本を読み語るボランティアを始めた
もともと朗読は子どもの頃から大好きだったので、読み語りボランティアは、子どもが小学校を卒業しても続き、8年間通ったことになる
一身上の都合(離婚、、なんだけどね 笑)から常勤で仕事をすることになり、後ろ髪をひかれながらボランティアの現場から身を引いた
それでも、絵本を読むことや素語りをすることが好きだったので、語りの学校に通った
語りの学校で学んだことは、今でもときどき、公民館や児童センターでのおはなし会で役立っている
身振りなどをいっさい入れないで語る「素語り」も夢中になったけれど、もともと活動の場が少ないことや、常勤の仕事をしながらできる場が少ないことから、少しずつ気持ちが薄れていった

合唱団を作った縁から、市内の合唱祭でのアナウンスをもう5年もやっているころ、舞台の袖で、たくさんの人たちのコーラスを聴いているうちに、私自身も歌いたいと思い、思い立ってゴスペルのクワイヤに入った
大勢で歌うことはとても楽しかった

ある日、ふと、天から降って沸いたように、フラメンコを踊りたくなった
これは後から「どうして?」と訊かれても、明確な答えは未だに言えないほど、本当に「急に思い立った」
ネットでいろいろな教室を探して、悪戦苦闘の末、今の教室にたどり着いた
そして、その教室には「とても上質の靴なんだけど、サイズが小さくて誰も履けない」中古の靴が、私を待っていた

フラメンコを始めて、半年経ったとき、父が亡くなった
そう長くはないとはわかっていたけれど、やはりショックだった
ゴスペルもフラメンコも語りもいっさい辞めようと思った
何もする気力もなくなっていた
ところが、ちょうどその頃は、いろいろなコンサートやライブを観に行く計画を立てていた時期だった
チケット代金は支払っていたので、引きこもりがちな身体をひきずって、劇場へ足を運んだ

まず最初に、ゴスペルのライブを観に行った
、、、、、冷え切った心は、そのまま冷え切ったままだった
大好きだった語りの先生のライブにも、やっと自分を奮い立たせて出かけた
、、、、、それでも、やっぱり冷え切った心は、以前のような感動ができなかった
そして、ほとんど惰性のように出かけたフラメンコの舞台
一緒にでかけた友だちも、隣で心配そうに私のことを見守ってくれていた

ところが、、、、

舞台が始まり、ギターが鳴り、歌が聴こえ、踊り手が舞台で踊り始めると、、、、

私は、いっさいのことを忘れて舞台に熱中した
ひさしぶりに心が熱くなるのを感じた

舞台が終わったとき、私は選んだ
フラメンコをやろうっ!

そして、ゴスペルのクワイヤを休会し、語りの学校も休会し、フラメンコだけ復帰した


夏の発表会は迷わず参加を表明した
当初、初めての舞台だからと、踊りの一部分だけ舞台に立つよう先生から話しがあったのを、無謀にも
「最初から最後まで踊り通したいです」
と先生にお願いして、急きょ、発表会までに、すべての振り付けを教えてもらうことになった
それでも
「舞台でどこを踊るかは、最後まで振付けた上で、その出来をみて決めます」
と言われていたが、チャンスは向こうからやってきた
当初4人で踊るはずが、その中の一人が急に仕事のために退会
そして、つい先日、もう一人が、いろいろな事情で降板
私は、出来のいかんを問わず、舞台で通して踊ることになった
しかも、ソロよりも難しいといわれるパレハ(二人で踊ること)で踊ることになった


フラメンコは難しいっ
もともと器用なほうの私でも、必死で音楽を聴かないとリズムをとることさえできない
しかも、動きも難しいっ
何度も何度も練習しても上手くいかないっ
実は、今までいろいろな習い事をして、こんなに苦労しているのは、これが始めてだっ
一所懸命に練習しても、うまく出来ない
うまく出来なくても、ギターや歌に合わせて踊るのは、本当に楽しい
それにフラメンコの世界は無限に広がっていて、きわめても極めても先が見えない
まるで宇宙のようだ
今までいろいろな習い事をして、こんなに取り留めのない世界は、これが始めてだっ

もっと知りたいっ
もっと踊りたいっ
もっと上手になりたいっ

今まで成層圏でうろちょろしていた風船が、気付いたら宇宙に飛び出していたような感じだ
宇宙で観る星々の美しさは、地上で観ていた星々の美しさとは比べ物にならない
そう簡単には、地上に戻りたいとは思えない
この先には、まだまだ私の知らない綺麗な星があるに違いないっ
そんな思いを抱きながら、気付いたら何万光年も先の星を目指している感覚だ

それでも、年齢とともに体力も落ちている
いつまで踊れるのかは、まったく判らない
経済的にも、いつまで続けられるのか、判らない


「継続は力だよ」
かつて、劇団の同僚は、辞めていく私にそう言った
その同僚は、今でも芝居を続けている
芝居を辞めた私と、続けた同僚、、、、、
本当は続けたかったのに、諦めてしまった自分、、、
そのコンプレックスが、今の私を後押ししているのかもしれない
30年まえに諦めた舞台への思いを、今度はフラメンコで果たそうとしているのかもしれない

でも、、、、
そんなことはどうでもいいっ

今は踊れるっ
今は踊る環境がまわりにあるっ
今は踊ってもいいのよねっ?

だったら、踊りましょうっ
この先、何が待っているかはわからないけれど、踊れるかぎり踊っていこうっ
どう頑張っても、まだ始めて1年とちょっとだものっ
下手くそには変わりはないけれど、自分で納得がいくまで練習して、舞台に立とうっ!!

曲は「アレグリアス」スペイン語で「歓び」!!

今、踊れる歓びをっ
今、舞台に立てる歓びをっ
今、生きている歓びをっ

下手くそな踊りに載せて、、、、、


†神に感謝
by nitonyan | 2007-06-27 23:13 | Duende

「親より出世するよ」
私の母は、私にそう言い続けた

「親より出世するよ」
そう息子に言ったとたんに、はじめて私は、私の母の気持ちが理解できた

「親より出世するよ」
それは、
「親より出世してほしい」
という親の願いと、期待だった、、、

「La Postal 1日1信」

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